過去の学校ブログ

生徒たちは早速「いのちについての学びを更新」していました。

11月29日(火)の朝会の後の「全体道徳」を行いました。ピュリッツァーを受賞した「ハゲワシと少女」の教材を活用し、『生命の尊さを守るためにはどのようにすべきか』を全クラスで考えました。今回の「全体道徳」は、和田がPC室からオンラインで進行し、各クラスの担任が生徒たちの学びの様子を見ながら授業を展開するというハイブリット方式で実施しました。・・・まず、写真を提示し、写真を見た初発の感想を交流しました。そして資料を読んだ後、その写真の背景等について説明し、「カーターさんは涙がこみあげ、しばらく泣き続けた理由は何だったのか」について考え、Jamboardに書き出した後、班の中で話し合いを行いました。さらにその後、「自分がカーターさんだったら、どうするか」について考えました。クラス内で意見交換を行い他者の考えを聴きながら、自らの考えをより深めていました。・・・生徒たちは早速「いのちについての学びを更新」していました。嬉しい限りです。 ~頑張ろう! 西中!~

【写真の背景等】この写真が撮影された政治的背景として、1983年から続く内戦と干ばつのためにスーダンで子供たちを中心に深刻な飢餓が起こっていたということがある。カーターが訪れた、食料配給所があるアヨドという村では、飢えや伝染病で1日に10人から15人の子供たちが死んでいた。やりきれなさから、その村から離れようとして村を出たところで、ハゲワシがうずくまった少女を狙うという場面に遭遇したのである。現場にいたカーターの友人でありフォトジャーナリストのジョアン・シルバの証言などによると、写真の構図は母親が食糧を手に入れようと子どもを地面に置いた短い時間にできたものであったという。カーターは写真を撮った後、ハゲワシを追い払い、少女は立ち上がり、国連の食糧配給センターの方へよろよろと歩きだした。それを見た後は、すさんだ気持ちになり、木陰まで行って泣き始め、タバコをふかし、しばらく泣き続けた姿が目撃されている。・・・この写真が、ニューヨーク・タイムズ紙に1993年3月26日付けで掲載されると強い批判がニューヨーク・タイムズ紙に寄せられた。大部分が写真を撮る以前に少女を助けるべきではないかという人道上からのもので、この写真は「報道か人命か」という問題として、その後何度かメディアで取り上げられ、論争に発展した。